ソウルの旅 2008


平成20年4月24〜27日


家族の不幸事や転職、引っ越しなどもあり、気分転換のつもりで約2年ぶりに韓国旅行に出かけることにした。
いつもは金曜発2泊3日なのだが、今回は木曜発3泊4日にした。
そうすると航空券が7,000円も安く済んだ。
これまでは大韓航空かアシアナ航空を利用したのだが、今回初めて日本航空にした。
これも、一番安かったからだ。

【4月24日(木)】
今回はみなべ〜和歌山間を高速バスで、和歌山駅東口でリムジンバスに乗り換えて関西国際空港へと向かった。
あとで知ったのだが、バスの乗り換えはしなければならないが、チケットはみなべ〜関空間で買っておけるそうだ。
その方が別々に買うよりも乗継ぎ割引があって得らしい。


リムジンバス

eチケット控え

JAL

いつもの旅行社に依頼して格安航空券を手配。
今回初めて「eチケット」というものだった。プリンターで印刷しただけのもので大丈夫なのかと思ったが、何の問題もなく搭乗券をもらうことが出来た。
ただ、最初に受付カウンター前にあるチェックイン機に案内されたのだが、職員の人がパスポートを読み取ろうと機械に入れたが読め取れずに結局カウンターに案内された。
荷物を預けて軽くなったし、出発まで時間もあるのでマクドナルドで軽く食事。
早めに出国手続をして、韓国の友人に頼まれたたばこを免税店で購入し、搭乗ゲート近くで出発までのんびりと待つ。


仁川国際空港

仁川国際空港

高速道路

何らかの理由で少しばかり出発が遅れた。
入国カードなどは前の席の後にビニール入れて置いてあったので、離陸後に安定してから記入する。
今回、午後便で夕方到着だからなのか、機内食は出ずにおつまみと飲み物だけであった。

無事に仁川国際空港に到着。
入国審査も荷物受け取りもスムーズで、すぐに外に出れた。
友人の崔さんに連絡すると、あと30分ほどで着くとのこと。
日本で使っている携帯電話がそのまま韓国で使えるというのはありがたい。
少しだけぶらぶらとするも、荷物もあるので腰掛けて待つことに。

ほどなく迎えの崔さん到着。
高速道路を走って崔さんのアパートのあるSinwolへ。
アパート近くに車を止め、そのまま歩いて近くの焼肉店へ。
今回も豚の焼肉をご馳走になる。
しばらくすると、崔さんの奥さんも息子を連れて来た。
息子とは初対面だ。
少し時間が経つと慣れてきたのか膝に座ってくれた。
肉だけでなく、鍋と最後に麺類もいただいた。
温かいソーメンという感じの麺だった。

焼肉店

豚で焼肉

崔一家

慣れてきた?


温かいソーメン?

長男ウージン

【4月25日(金)】
崔さんのアパートに泊めてもらい、翌日は1人で板門店ツアーに参加。
事前に日本でネット申込みしていた板門店トラベルセンターの「板門店&DMZツアー」。
集合場所である、明洞のホテルロッテそばまで崔さんに送ってもらう。

6階にあるツアー事務所に寄り、2階駐車場へ行くように案内される。
1号車は全員日本人観光客で板門店のみのツアーらしい。
私の乗る2号車には、DMZ(非武装地帯)ツアーへの参加者が私を含めて数名いるもよう。
乗客も、日本人、台湾人、それとどこか知らないが欧米人。
ということで、ガイドも日本語対応と英語対応の2人が乗り込んで通訳していた。
2人のガイドが乗って通訳するというケースはめったにないらしい。


ツアーバス

JSA

国境ライン

国境ライン

北朝鮮の板門閣

北朝鮮

北朝鮮の兵士も

展望台

平和の家

バスの車窓から延々と張り巡らされた鉄条網、所々に監視塔が建ててあるのが見える。
検問所では、バスの中に軍の兵士が入ってきてパスポートのチェックがある。
バスの中ではガイドさんから、写真撮影等注意すべきことなどの話も。

まずはキャンプボニファスというところに行って、戦争に関する話や諸注意を聞いた。
そこからJSAへは軍人の案内で専用バスに乗り換えて行った。
到着するとすぐ、「自由の家」という建物を抜けて会議場の方へ。
2列に並んで進むのだが、歩行中は撮影禁止で、建物内から撮るか展望台からは撮影可能。
この日は北朝鮮側にも見学者が来ていたので、北朝鮮の兵士も出ていた。

再びバスに乗り込み、少し行ったところでまた下車。
ここからも北朝鮮の村が見える。
ただ、この日は天気が良くなくて雲っていたので遠方は霞んでいた。


向こうは北朝鮮

白杭の先は地雷原

北朝鮮

帰らざる橋

バスに再乗車して「帰らざる橋」のそばを通ってキャンプボニファスに戻る。
ここにも一応売店があり、記念の土産が買えるようになっている。
また最初のツアーバスに乗って移動し、臨津閣にある「自由の橋」等を見学。
見学時間は短く、再びバスに乗ってこの日の昼食場所へ。
昼食はプルコギで、ツアー料金に含まれている。
1人で参加していた3人で相席となった。
ちなみに1人は九州から来ている男性で、この後釜山まで移動して翌日船で帰るそうだ。
もう1人は東京から来た女性で、学生のころから旅行好きらしく、今回も1人で来たそうだ。
朝食を食べずに出てきていたので、お腹が空いていたからお代わりのごはんを頼もうとしたら、別にお金がいると言われたので断った。
両替もしてなかったし。


自由の橋

プレート

行き止まり

鉄条網

北朝鮮につながる
鉄道の鉄橋

線路沿いの鉄条網

監視塔

昼食場所

プルコギ

板門店ツアーのみの人たちは、このあと昼食場所で何かショーみたいなものを見るらしいのだが、私と日本人夫婦、台湾人夫婦、それと欧米人グループとだけ西部戦線DMZツアーに行くためにマイクロバスに乗って先に出発。
臨津閣駐車場でバスを乗り換えて再出発。
が、少し走ったところで運転手が携帯電話で話。何かと思えば、1人乗り遅れた者がいるということで、また駐車場に戻ることに。

「第3トンネル」到着。北朝鮮が掘ったトンネルがあるのだ。
韓国内で発見された4箇所のトンネルのうち3番目に発見されたもの。
1時間に約3万の兵士が攻め入ることができる規模だったらしい。
怖い話だなぁ。
約300mのトンネルを乗り物に乗って下りていくと北朝鮮が掘り進めてきたトンネルに出る。
そこから封鎖している壁までは自分の足で歩いて往復する。
帰りも乗り物に乗ってもいいのだが、待ち時間があるとのことで、約350mの徒歩用のトンネルを歩いて戻ることにした。
もちろん最後まで上りである。
地上に出て少し待つとガイドさんらが乗った乗り物が到着。

次はすぐそばにある建物で分断の歴史や戦争に関する映像を鑑賞する。
ヘッドホンをつけると日本語の音声が聞けるようになっている。

その後、バスでトラ展望台へ移動。
ここからも北朝鮮を見ることができる。
双眼鏡で覗くことができるが、写真撮影は後にさがったところにある線より後方でなければならない。

またバスで移動してトラ山駅へ。
ここは最北端にある駅で、南北統一されれば拠点となる重要な駅だそうで、きれいな駅だった。


第3トンネル

南北を1つに

トラ展望台

トラ山駅

駅構内

駅構内

北朝鮮につながる
鉄道

鉄条網と監視塔

臨津閣で再びマイクロバスに乗り換えてソウルのロッテホテルに戻る。
崔さんに連絡したところ、まだ仕事が終らないとのことでそれまで待つことに。
時間があるので、前に放火された南大門を見に歩いた。
囲いの中は、もうすでに取り壊されていた。
ロッテホテル隣にあるロッテ免税店まで戻り、1階にあった椅子に座り、崔さんからの連絡を待つ。

ようやく迎えにきてくれ、そのまま車を走らせる。
2年前にもお世話になった趙さんと再会し、3人で夕食に行く。
この夜は肉類ではなく、魚だ。
肉ばかりだと飽きもくるだろうし、ちょうど良かった。それにおいしかったし。


南大門(跡)

魚介類食堂

夕食1

夕食2

夕食3

夕食4

趙さん


崔さんと

夕食はまた趙さんのおごりである。ごちそうさまです。
帰り際、趙さんにはお土産として持ってきた日本の焼酎をプレゼント。
アパートまでの帰りは代行を呼ぶ。
もう1台の車がくるのではなく、運転手のみが来て運転してもらって帰る。
運転手は、バスや電車などで戻るそうだ。

【4月26日(土)】
よく眠れた。目覚めのいい朝だ。
長男も起きてくる。
この日は朝食をいただく。ごちそうさま。
そういえば、韓国では紙パックの飲み物用に取っ手付きのケースが無料でもらえるそうだ。
これなら、小さい子供も持ちやすいだろうな。

土曜だが、崔夫妻は二人とも仕事であった。
長男を保育園に預け、奥さんを職場前まで送り、とりあえず私は崔さんの勤務先まで同行する。
同僚がコーヒーを入れてくれた。カムサハムニダ。

少しだけ仕事をして、もうOKということで会社をあとにする。
車を走らせ、明洞にある明洞実弾射撃場へ向かう。
日本語対応可能な店員さんが、銃やシステムについて説明してくれる。
今回は、ルパン一家の次元大介使用のマグナムとルパン愛用のワルサーP38の2つを撃つことにした。
4万ウォンと5万ウォンで計9万ウォン。
両替してなかったので1万円で払う。ちょっと損かも。
ワルサーP38はもう製造されてなくて、実弾が撃てるのはここにしかないらしい。
インターネットの「ソウルナビ」にあったクーポンを提出し、弾2発とポラロイド写真のサービスを選ぶ。

一応防弾チョッキを装着してヘッドホンも付けておく。
簡単に説明を受けてから、実際に撃ってみる。
マグナム10発とワルサー10発+サービス2発の計22発。
中々迫力があって、おもしろい。
結果としては高得点となっていた。
木洞というところにも実弾射撃場があって、料金も半額ぐらいになるほど安いらしいが、事件(トラブル)があってからしばらく休業しているそうだ。

その後、富川にある富川ファンタスティックスタジオに寄った。
日本統治時代のころの町並みを再現しているオープンセットである。
なので、日本語で書かれた看板などもある。
たまには、ドラマや映画の撮影に使われているそうだ。
入場料は300円ほど。

一旦アパートに戻り、近くの食堂で石焼ビビンバをいただく。
中々うまい。
保育園に預けていた息子を引き取りアパートに戻る。
ほどなく奥さんも帰ってきた。


長男ウージン

飲み物ケース

明洞実弾射撃場

射撃場の中

富川ファンタスティックスタジオ

オープンセット1

オープンセット2

オープンセット3

石焼ビビンバ

子供を病院に連れて行くということだったが、私も同行した。
待ち合いのテレビでは「どらえもん」が放送されていた。
吹き替えなので、どらえもんものび太も韓国語を話していた。

その後、奥さんの友人・金英花さんの勤務先に行くことに。
眼鏡屋さんなので、私の眼鏡のレンズを新調するためでもあるのだ。
金さんと会うのは3年ちょっと振りぐらいかな。
視力検査等をして新しいレンズを作ってくれるまで、早い時間でできるのでありがたい。時間のかかる日本とは大違いだ。

出来上がって、最後の支払いのときに金さんが「大丈夫!」と言って、安いから支払いはいいみたいなことになって、結局タダでやってもらったことになってしまって、もうしわけなく思う。ありがとう。
外に出るとすぐに、これまた3年ちょっと振りぐらいで李貞淑さんとも再会。
金さんと李さんにはお土産の「おせんべい」を渡す。

すぐに崔一家と私、金英花さん、李貞淑さん、それともう1人奥さんらの友達の女性も一緒に食事に行くことに。
車2台で移動始めたが、駐車場所がなく近くの店でもあるので、再び金さんの店の前の駐車場に置いて歩いて行くことに。

食事に行った店は評判がいいようで、我々が帰るころには順番待ちになっているほどだった。
この日は、麦めしに具を入れてかき混ぜて食べるというものをいただいた。
おいしかったのだが、食べ終わってから金さんがごま油を入れるのを忘れていたことに気付くがもう遅い。

今回初めて会った女性は金昭延さんで、他の女性らとは友達で山仲間だそうだ。
日本語も2年ほど勉強しているということもあり、日本語で話もできたし、日本のテレビドラマのネタなんかでも楽しく話ができた。
山の道具を持っていたので、山に行った帰りなのかと思ったら、女性3人でキャンプに行く予定だったらしい。
私が急に韓国旅行に来たことによって、中止にさせてしまったのかなと思うと申し訳ない。
食事中にキャンプに誘ってもらったが、道具も持ってないし、次回訪韓時にでも参加させてもらおう。

その後、近くの店に移動して2次会。
韓国語の会話は崔さんに通訳してもらったり、日本語で話したりと楽しいひとときを過ごさせてもらった。
最後は3人と握手して別れ、私と崔一家は代行を呼んでアパートに帰った。


金英花さんの
勤務先

レストラン

夕食

全員で

途中で見つけた
たこ焼移動販売

帰宅後、翌朝はゆっくりできるようにと土産物の買出しに近くのスーパーへ出かけた。
一部はダンボールをもらって箱詰めし、紐もつけておいた。

【4月27日(日)】
飛行機の出発時間は昼なので、それほど急ぐこともないのでのんびりとする。
朝食に奥さんがカレーを作ってくれた。
少しだけお代わりもいただく。ごちそうさまでした。
前夜に奥さんが作ってくれた「イカの和え物」とかをバッグに入れて出発の準備だけは済ませておいた。
キムチが発酵しているのかパンパンになっていたので、奥さんにタッパー借りて移し替えて持って帰ることにした。

頃よい時間に出発する。
高速経由で仁川国際空港へ。
地下駐車場に車を止める。
JALのカウンターに行き、チェックインと荷物を預ける。


カレー

袋がパンパン

関係ないが
金浦空港

見送りの崔一家

JAL機内食

少し時間があったが、早めに出国手続をしておくため、見送りの崔一家に別れを告げた。
帰りのJALは、12時20分発ということもあるのか、軽食と飲み物がで出た。





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