ヒマラヤ・トレッキング
(ルクラ〜タンボチェ往復)
平成13年10月28日〜11月4日


■メンバー■

 ネパリー・・・・リーダー。日本人だけど自称ネパリー。
  トマト・・・・・・トマト好きの女性。
 風まかせ・・・・根性なしの足手まとい。

 カドゥッカ・・・・現地ポーター



【関西空港】

 2001年10月28日 出発  関西空港発カトマンズ行き(上海経由)
午後12時30分、関空発のロイヤル・ネパール航空でいよいよ出発。すぐに昼食ということで、チキンを頼む。上海で1時間の滞在。再出発後、飲み物とピーナツが出てくる。夕食にはラム肉のシチューを頼む。
また、機内で同県出身のTさんと出会う。偶然ながらTさんとリーダーのネパリーさんは以前にもネパールで出会っていたのだ。

 現地時間午後6時45分、カトマンズのトリブヴァン空港に着く。入国手続きは30ドル、ちょうどで払う。前に並んでいた人は100ドルを出してお釣りが足りないと騒ぎだした。その人は、有名な日本人カメラマンであった。

空港の外に出ると、勝手に荷物を持とうとする子供たちが近づいてくる。現地旅行社の迎えの車に乗り、ホテルへ向かう。空港近くは舗装された道路であるが、あとは舗装されてなかったり、でこぼこのガタガタ道もある。午後8時前、ホテル着。近くで水とパンを買い出し。水は1リットル1本(Bisleri)。午後10時30分ごろには就寝。

【トリブヴァン空港国内線ターミナル前】

 10月29日、午前4時45分起床。朝食を済ませ出発準備。ホテルで両替。100ドルで7,100ルピー。タクシー(相当年式の古そうなカローラ)で空港へ。200ルピー。6時の開場まで外で待つ。もうすでに大勢の人である。開場とともに少しずつ中へ入っていく。が、しかし中へ入るのを止められた。どうやら航空券を見せないとダメだったらしい。すぐに見せて中へ入れてもらう。
 荷物の検査が混み合っている。どうやら荷物を送るコンベアーの調子が良くないらしい。手で押し込んでいる人もいる。いいかげんなものだ。空港使用料165ルピー。ようやく待合室に行けたものの、他航空会社の便は次々と飛び立って行くのに、ロイヤル・ネパールは何をしてものんびりとしている。

【ルクラ空港】

 7時25分、いよいよ飛び立つ。遠くの山々が見えてくる。雪を被った頂きが見える。ほんとうにネパールに来たのだ。ヒマラヤの山々なのである。
 8時、ルクラ空港に着く。滑走路はアスファルトだ。話では、土の滑走路だと聞いていたので驚く。外に出ると、荷物を持とうとする子供たちが来る。「NO」と言って追い払う。ネパリーさんの知り合いの宿の息子さんらが迎えに来てくれた。一緒にニマさんの宿「シェルパゲストハウス ルクラ」へ。ミルクティーを頂き、ヌードルスープ(ラーメン)食す。ここで、ダーテ村のポーター、カドゥッカ(25歳)を紹介してもらう。

【ゾッキョの一団】

 10時前より、いよいよトレッキングの開始である。大きな荷物を背負った現地人らが行き交う。狭い道でゾッキョ(牛)の一団が来ると迫力がある。こちらが避けなければ危ない。途中のロッヂで休憩をとりながら進む。ミルクティーは15ルピーである。昼食にはミックスフライライスを注文。焼飯のようである。少し暑くてのどが渇いてきたときはスプライトを頼んだ。これは他の飲み物よりも高い。
 トレッキング中、すでに働いているのであろう子供達(女の子)と記念写真を撮ってもらう。子供達は「ペン、ペン」と言っていた。書くものが欲しそうであった。

【マウントカイラスロッヂ】

 モンジョに着いたときは午後5時ごろ。どこかに宿を取ることになり、一軒目にあたると満室らしい。次のマウントカイラスロッヂに泊まれることになる。食堂には電気がついてはいるが暗い。部屋には電気なし。最初は一部屋に三人ということであったが、空き部屋があるということで、二部屋に分かれる。
ここの宿でも子供達が働いている。日本人が「モンジョ中学校舎建設支援募金」を集めるようにしていたので500ルピーを寄付する。夕食後、午後9時前ごろ、就寝。夜の間に雨が降った。

【チェックポイント】

 10月30日、午前5時35分、起床。天気が良さそうだ。出発準備をしてから朝食。チベッタン・ブレッド、これは中々おいしい。
出発してからすぐに国立公園入口である。銃を持った兵士のいる検問所だ。
現地旅行社を通じて入園料の支払いを済ませていたので、券を見せてチェックを受ける。問題なく通過OKである。

【喜ぶ子供たち】

 ジョルサレで休憩。ネパリーさんは近くの子供達にタオルをあげた。子供達はよろこんでいる。
再出発。前方に吊り橋が見える。あれを渡るようだ。橋の手前で休憩後、渡っていると右奥に山が見える。ローツェのようだ。ちょっと興奮。
橋を渡り終えると、そこからは少し急な登り。

途中で外国人らが何やら写真を撮っている。何だろう。えっ?エベレスト?
そうなのだ。まだまだ小さくしか見えなかったが、まさしくあれはエベレストである。初めて生で見る本物のエベレストである。

【ナムチェに到着】

休憩も取りながら、今夜の宿泊予定地ナムチェを目指す。いよいよナムチェが見えて来た。写真で見ていた風景である。
ヒマラヤンロッヂを宿舎とする。休憩後、シャンボチェを目指して出発。

ネパリーさんがちょっとゆっくりペースで行くということで、トマトさんと先に行く。
が、トマトさんのペースも落ちた。どうやら高山病の症状らしい。
そのあとは一人先へと進む。所属山岳会の先輩方が昭和54年に日本人初登頂に成功したファルチャモらしき山も見える。シャンボチェ・パノラマホテル横で日本語の分かる現地の人と話をする。ネパリーさんトマトさんがようやく到着。トマトさんはかなりつらそうだ。ホテルでミルクティーを飲んで休憩。

【左奥がファルチャモ】

ここからも、一人先を歩いてホテル・エベレストビューを目指す。ホテル到着後、風景写真を撮るも、本当なら見えているエベレストもガスってしまって見えない。残念ではあるが仕方がない。ここではミルクティーではなく、コーヒーを飲む。

【ホテル・エベレストビューでコーヒー】

シャンボチェ空港とナムチェへの分岐で、トマトさんとポーターのカドゥッカがそのまま宿に帰り、私とネパリーさんとで空港近くをまわって帰ることに。少し道が分かりにくかったので、暗くなってきたものの午後6時過ぎに宿に到着。
その後すぐに夕食。トマトさんはやはりあまり食欲がないようだ。
午後10時ごろ就寝。

【ナムチェ村】

 10月31日、午前5時51分起床。今日も天気が良さそうだ。クワンデ・リもきれいに良く見えている。朝食後、タンボチェ往復にでかけることにする。
ネパリーさんはトマトさんに付いて居残ることにして、私とポーターのカドゥッカで出かけることに。
シャンボチェに行く道を途中で右に折れる。しばらく進んでいくと、外国人が山をバックに写真を撮っている。では私も撮ろう。あれ?もしかすると、あれはエベレスト?そうなのだ、エベレストとローツェが見えていたのである。

それからは、休憩もとりながらどんどんと先へ進む。途中で、日本人グループとも出会う。
プンキ・テンガに向けては下りである。橋を渡った所である。そこで、ネパリーさんが前に来たときに撮った写真を渡すように預かっていたので、その男性を探す。すぐに、隣にいると教えてもらい、会いに行く。写真を渡すと、とても喜んでいた。代わりにミルクティーをご馳走になる。

今度はタンボチェに向けて登りとなる。下りと違って、登りは少しゆっくりと歩く。
日本人の二人組と会う。この方たちは、三浦雄一郎さんらとエベレストを目指すグループの方だそうで、今回はアイランド・ピークにトレーニングに来たそうだ。

【タンボチェ、天気が良ければ中央奥にエベレストが・・・】

11時27分、タンボチェ着。本来ならここもエベレストがよく見えるようだが、少しガスがかかっていて合間に少し見えるだけであった。アマダブラムは良く見えている。とりあえず、昼食とする。ミックスドフライヌードル。焼そばみたいなものである。カドゥッカはいつもダルバート定食だ。到着前は少し軽い頭痛のようなものがあったが、休んでいるうちに高度に慣れてきたのかおさまってきていた。
トマトさんに預かっていた、Y氏の写真にエベレストを見せる。

いつまでもゆっくりとしている訳にはいかないので、そろそろ引き返すことにする。今度は最初は下りとなる。
プンキ・テンガに着く直前、ネパリーさんが居るのが分かる。ちょっと心配になって来てくれたようだ。途中で休憩をとりながら、キャンヅマではヌードルスープを食す。おいしかった。アツァラという漬物も食べる。これは辛い。すぐに水を飲まなければならないほどであった。

16時42分、ナムチェのメインストリートに着く。トマトさんを呼びに宿まで行く。
トマトさんを連れて戻ると、カドゥッカには先に休憩するように帰したようだ。ナムチェでもインターネットが出来る。15分で300ルピー。S氏のBBSに書き込み。もちろん日本語対応はしていないので、ローマ字で打ちこむ。
ロッヂに戻って夕食。そばにいたアイルランド人らとも「いいかげんな英語」で会話を楽しむ。結構いけるものだ。
午後9時ごろ、就寝。

【カタを巻いて記念撮影】

 11月1日、午前6時8分、起床。7時20分ごろから朝食。宿の主人から「カタ」をいただく。「カタ」とはマフラーみたいな長めのスカーフで、信愛の印として渡すらしい。
名残惜しいものの、いよいよ帰らねばならない。出発である。来た道をそのまま引き返すのである。最初にエベレストを見た場所では、また改めて写真を撮ったりした。ジョルサレでは、行きに寄ったロッヂで独身姉妹の写真を撮らせてもらう。検問所ではまたチェックがあった。半券を見せればOK。

【ジョルサレの姉妹】

モンジョでは、宿泊に使ったロッヂに寄り昼食。ベジタブル・ヌードルにする。
チュモアで、以前日本人がやっていたというロッヂ「HATAGO」が残っていた。今は全く使われていなかった。

【ロッヂHATAGO跡】

パグディンで休憩。ミルクティー20ルピー、ブラックコーヒー15ルピー、レモンティー25ルピー。
出発後すぐに橋を渡る。金属製の新しい橋である。橋の近くには、古い木の橋の一部が残っている。我が山岳会の先輩方は昔、あの古い橋を渡ったのであろう。

【ニマさんの宿にて】

薄暗くなってきたころ、ルクラのニマさんの宿に到着。ここのロッヂにはルクラで唯一、お風呂がある。でも到着が遅かったので入ることは出来なかった。夕食にはバッファローの肉である。いつもは別で食べているポーターであったが、この夜は最後ということで一緒に食べた。アルコールは弱い方だというのに、ニマさんにロキシーやチャンを飲まされてしまった。でも、結構おいしいものだ。
カドゥッカからも、信愛の印の「カタ」をもらう。

【ルクラ唯一の風呂】

空港近くの広場でバンド演奏のようなものがあるということで行ったが、人が多くて何が何やらわからず、早めに切り上げて宿に帰った。
午後11時過ぎ、就寝。

 11月2日、今日も午前6時8分、起床。出発準備をしておいて、それから朝食。そして空港へ・・・という予定であったが、この日は風が強くて飛行機が飛びたてないらしい。ルクラはそうでもないのだが、カトマンズがダメらしい。
いつになるかわからないので、ブラブラとする。日本では「大山」とよばれていたという現地の人と話をする。少し日本語が出来る。名古屋に住んでいたらしい。この人はエベレストにも3回登ったことがあるという。

10時過ぎ、ようやく飛行機が飛んできた。これで下りられる。急いで空港へ行く。空港使用料165ルピー。10数名乗りの小型機である。午前11時、離陸。
同44分、トリブヴァン空港着。タクシーで、ネパリーさんが前に泊まったことのあるニワゲストハウスへ。空港から250ルピー。宿泊は、向こうが「いくらで泊まる?」と聞いてくるので、ネパリーさんが「8ドル」と。風呂はなく、シャワーのみ。外へ昼食に出かける。その後、旧王宮のあるダルバール広場等に行く。外国人は、歩くだけで200ルピーを払わねばならなくなった。拝観料らしい。しかし、それにしても「ほこり」がすごい。どうやら喉をやられたらしい。少し「はしかい」。

一度、宿に戻ったあと、夕陽を見るためにナガルコットへ。宿のフロントでタクシーを頼んだが、タクシーではなく、来たのは宿の店員の知り合いらしい。往復1,500ルピー。しかし、渋滞もあってナガルコットに着いたときはすっかりと暗くなっていた。ホテルビューポイントでバイキングを食べる。午後10時30分ごろ宿に帰り、午前零時ごろ就寝。外は少し騒がしいようであった。

 11月3日、午前6時47分、起床。ヤクレストランへ朝食に行く。宿に帰ってチェックアウト。荷物はそのまま部屋に置かせてもらえることに。その後は周辺をブラブラしたり買い物して過ごす。同郷のTさんの店にも寄る。喉の調子が益々悪くなる。咳も出てくる。次回来るとしたらマスクが必要である。午後1時ごろ宿に戻り、インターネットをする。1時間25ルピー。再び食事のために出かけ、その後は一人だけ宿に帰り昼寝。またインターネットを1時間、日本にメールを送る。ここでは日本語入力が出来る。

パンとジュースを買い出し。タクシーで空港へ。私とトマトさんのみ帰国へ。ネパリーさんはあと1週間、再びルクラに戻ってジリまで歩くという。
ネパリーさんと別れ、空港内へ。搭乗手続き、出国手続き、セキュリティーチェック。午前零時離陸。

 11月4日、午前8時(ここから日本時間)、上海に。約1時間後再離陸。
午前11時15分、関空着。無事に帰国である。ここでトマトさんとは別れ、リムジンバスにて和歌山へと帰る。


■後記■
ネパリーさんのヒマラヤ・トレッキングの話を聞き、すぐに同行させてほしいとお願いしました。それまで海外に行こうなんて考えもしなかったことです。でも、初めてヒマラヤの山々をこの目で見たときはとても感動しました。注意を受けることもありましたがいろいろとご指導頂いたネパリーさんには感謝しております。


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